ふたりきりのアトリエはとても静かで、ちょっとした物音でも大きく響くように感じられた。
否、神経が昂ぶっているせいで聴覚が過敏になっているのかもしれない。
敏感になっているのは聴覚だけではなかった。
全身の膚が、すこしふれられただけで過剰に反応してしまうほど過敏になっていた。
肩にかかっているだけの状態になっている衣服がほんの少し膚にふれただけで小さく悲鳴を上げてしまう。
悲鳴は外に聞こえてしまうのではないかと思うくらい、耳に響く。
びくりと体をふるわせると、また衣服が膚をかすめ、長い髪が膚を撫でる。
小刻みにふるえながら汗のにじむ手で目の前の男に縋り付く。
意地悪な彼は左手に持った氷で胸をそっとなぞる。
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雨のにおい

蓬生

雨が降っていた。
秋になり過ごし易い気候が続いていたというのに、すこし寒くなりだしたと思っていた矢先、昨日からだらだらと長雨がつづいていた。
さざんか梅雨という名前の響きは悪くないが、さざんかの花びらを散らすこの雨は、窓辺に置かれたベッドに横たわる長身の男の気力まで散らしていた。
男は指一本動かすこともできないといったふうで、湿気を含んで広がった色素の薄い長い髪がベッドのふちから力なく床へ向かって垂れていた。

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あきのたび

タタン、タタンと音をたて、電車は規則正しく揺れる。
阪急電鉄神戸三宮駅から、梅田行きの特急に乗り、梅田駅のひとつ手前、十三駅で河原町行きに乗り換え、榊大地と彼の恋人は京都へ向かっていた。
JRに乗っても良かったのだが、JR京都駅ビル最上階にある大空広場の夜景でシメるというデートプランを立てていたので、帰りはJR・行きは私鉄でと思い、阪急電鉄を乗り継ぎ京都へ向かっているのだが……これがいけなかった。
三宮駅からは座席を確保できたが、十三駅で乗り換えた河原町行きの電車はほぼ満員。
座れるイスなどあるはずもなく、立ちっぱなしでいるしかなかった。
満員の電車内の空調からの独特のにおいと、人いきれと、揺れ。
すぐ隣に見えるもともと色白な顔が、乗車時間が経過していくにつれどんどん紙のように白くなっていくのが見て取れて、大地の脳内は、ああすればよかったこうすればよかったという詮の無い後悔でいっぱいになってゆく。
車を出すと言ったかれを「京都は電車とバスで観光するもの」と説き伏せたが、車を出してもらえばよかった、JRにすればよかった、十三で乗り換えせず、終点の梅田駅から乗り換えればよかった、多少お金がかかってもタクシーにでも乗ればよかった……。
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指輪

数ヶ月ぶりの逢瀬のためにとったホテル。
部屋に設置されていたソファはしっとりとした光沢のある黒いレザーで覆われていて、座り心地も最高だった。
恋人と並んで座るのにちょうどよいラブソファだ。
だが、隣に座っている恋人は明らかに怒っていた。
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