指輪


数ヶ月ぶりの逢瀬のためにとったホテル。
部屋に設置されていたソファはしっとりとした光沢のある黒いレザーで覆われていて、座り心地も最高だった。
恋人と並んで座るのにちょうどよいラブソファだ。
だが、隣に座っている恋人は明らかに怒っていた。

恋人が眉間に皺を寄せ、不機嫌ですと顔に書いてあるような表情で、
ずうっと黙ったまま、というとき、どうしたらいいか?

平謝りだ。
とにかく謝る。
とりあえず謝る。
これに限る。

マニュアル通りにいかないのが恋愛というもの、人間というものだが、時にはマニュアル通りにするのがいちばんいい時だってある。

「ほらほら、これあげるから」

先日買ってきたチョコレートのお徳用大袋の中からひと粒取り出して、メタリックな包みに覆われた小さなチョコレートを差し出す。
緑色は……確かビターだったはずだ。

甘い物でご機嫌とりをするのもマニュアルだ。

恋人は渋々といった感じで、おもむろに包みをほどく。
光沢のある丸くて小さなチョコレートを、ぽん、と口に放り込んだ。が。

「……甘い」
「あれ」

包みの色は、金・銀・緑の3色。
大袋の裏面をよく見ると、ビターチョコは銀の包みのようだ。
しまった。

甘い物が得意ではない恋人は、ますます眉間に深い皺を刻む。

「悪かったて言うてるやん……ほらほら、今度こそビターチョコやから」
「もういい」

恋人はますます不機嫌だ。
また平謝りを続けるしかないのだろうか……。

「そもそも何で怒ってるんやった?」

ぽつりと出てしまった本音に、恋人がこちらを向いて目を見開く。

「……もういい」

喧嘩をしたままにしておくのはよくない。
何に怒ってるのかすらわからないのに仲直りもクソもあるのかというハナシだが、怒らせたままというのはよくない。
なにしろ、明日のホテルのチェックアウト時間が来て、「じゃあまた今度」と別れたら、次に会えるのは早くとも1ヶ月後だ。

……とはいえ(何に怒ってるか分からないが)1ヶ月も怒り続けるような小さい男でもないと思うけれど……。

チョコレートも「もういい」、謝るのも「もういい」と言われてしまって、すっかり手持ち無沙汰になってしまい、なにげなしに先ほどのチョコレートの包みを手に取る。
メタリックな緑色の包み紙。

三角形に折って、開いてもう一度、今度は別の頂点同士を合わせて三角に折る。
また紙を開いて、今度は頂点のひとつを中心に合わせて半分に折る……。
病気がちだった頃、ベッドに縫い付けられていた膨大な時間に覚えた折り紙のひとつだ。
立て爪の立派な指輪。
内側の銀色と外側の緑を上手く使って、銀色のリングに緑色の宝石が乗っているふうに見えるように折った。

「ほら」

そう言って、相変わらず不機嫌な顔でそっぽを向いて沈黙していた恋人の薬指に、そっと指輪をはめる。

「……これは……」

自分の薬指に嵌った立て爪のエメラルドの指輪を模したそれを、恋人はまじまじと見つめる。
紙の指輪の宝石と同じ色の瞳が、光を反射してきらめいているように見えた。

「食べ物で失敗したら次は宝石やろ」
「いや、その前に花束が定石だと俺は思うけど」
「チョコレートいくつ食べたら花束作れるやろ……大仕事やわ、あんたも手伝ってくれる?」
「……ビターチョコなら」

ひと粒、またひと粒とチョコレートを消費するたびに。
ぽつり、ぽつりと、恋人の口から不機嫌の理由がこぼれ落ちた。

光沢のある緑色の葉をつけた、銀色に輝く薔薇がホテルのテーブルの上にいくつも咲いた。

数ヶ月後。

恋人の部屋を尋ねた夜、ベッドサイドに見覚えのあるものを見つけた。
——あの時の指輪だ。

かんたんに壊れてしまいそうなそれをそっと指先でつまみあげ、「まだ持っていたのか」と、しげしげと眺める。
彼を怒らせたあの日のことを思い出し、ふ、と苦く嗤う。

ぐっと指先に力を込めるだけで、指輪はあっけなく潰れた。
ただの紙くずになった折り紙の指輪をそっとポケットに仕舞い、かわりに、ずっと以前から用意していたものを、指輪があった場所に置く。

チン、と金属が硬い音を響かせた。

シルバーのリングには、エメラルドではなく、ターコイズが嵌っている。
彼の瞳と同じ色の石も捨て難かったが、どうせなら誕生石の方が良いだろう。

さて、恋人はどんな反応をするだろう。

シャワーの音が鳴り止んだ。
彼がベッドルームに戻ってくるまで、あと、少し。