あきのたび

タタン、タタンと音をたて、電車は規則正しく揺れる。
阪急電鉄神戸三宮駅から、梅田行きの特急に乗り、梅田駅のひとつ手前、十三駅で河原町行きに乗り換え、榊大地と彼の恋人は京都へ向かっていた。
JRに乗っても良かったのだが、JR京都駅ビル最上階にある大空広場の夜景でシメるというデートプランを立てていたので、帰りはJR・行きは私鉄でと思い、阪急電鉄を乗り継ぎ京都へ向かっているのだが……これがいけなかった。
三宮駅からは座席を確保できたが、十三駅で乗り換えた河原町行きの電車はほぼ満員。
座れるイスなどあるはずもなく、立ちっぱなしでいるしかなかった。
満員の電車内の空調からの独特のにおいと、人いきれと、揺れ。
すぐ隣に見えるもともと色白な顔が、乗車時間が経過していくにつれどんどん紙のように白くなっていくのが見て取れて、大地の脳内は、ああすればよかったこうすればよかったという詮の無い後悔でいっぱいになってゆく。
車を出すと言ったかれを「京都は電車とバスで観光するもの」と説き伏せたが、車を出してもらえばよかった、JRにすればよかった、十三で乗り換えせず、終点の梅田駅から乗り換えればよかった、多少お金がかかってもタクシーにでも乗ればよかった……。

隣に立つ長身の恋人の衣服に汗がにじみ始め、いよいよ大地は臍を固めた。
視線を車内にめぐらせ、次の駅までの時間と、満員の車内から脱するルートを計算する。
黙って隣でつらさに耐えているであろう、無表情のかれをそっと視界のはしで見守りながら祈るように次の駅を待ったが、残念ながら特急電車はなかなか停まりはしなかった。
駅を通過するたびもどかしい気持ちになった。
やっと窓の外の景色が流れていく速度が落ちていき、駅が見え始める。ホームに佇む人もまばらで、閑散とした駅だ。
扉が開いた瞬間、隣の長身の腕を引いて、「降りよう」とだけ短く告げて、車内を脱した。
自分たちが降りるのと入れ替わりに、駅に居た人々はみな電車に乗り込んで行き、駅のホームはすっかりふたりきりになってしまった。
一緒に降りてきたかれをベンチに促すと、喋る元気もないのか、表情だけで「降りる駅がちがう」と抗議される。
それでも体調が悪い自覚はあるようで、不機嫌そうな目をしつつも素直にベンチに腰を下ろしてくれた。
「乗り物酔い?…人酔いかな。JRにすればよかったよ、こんなに混んでるなんてね」
そっと細い肩を撫でながら言うと、かれが「ふう」とちいさく息を吐いてからそっと首を横に振った。
「……JRも似たようなモンちゃう?電車賃は阪急の方が安いし……途中の十三駅なんか大阪らしい雑多な駅でおもろなかった?」
外の風に当たって少し体調が戻ったのか、そんなフォローを入れてくれる。
「ああ、そうや、せっかく阪急乗ったんやったら阪急そば入ったらよかったわ……きつねうどんが美味いねん」
「“そば”なのにうどん?」
笑いながら隣の恋人を見たが、体調が戻ったからと無理に喋りすぎたようで、少し辛そうに息を吐くのが見えてしまった。
水か何か買って来るよ、と立ち上がろうとすると、服のすそを掴んで引きとめられる。
かれが黙って首を横に振るので、すそを引かれるままベンチに戻った。
そっと肩に頭を載せて、みじかくため息をついて、次の電車来るまでに復活するから……と疲れた声で言う。
「いや、ここで途中下車してタクシーでも拾って……」
「あかんって」
ぐっと肩に頭を強く押し付けられる。
頑ななかれにやれやれと思いながら、ふと、目の前に広がる景色をみつめる。
何の変哲もない景色。
まだ日の登り切らない午前の秋の空気は冷たかったが、寒いというほどではなく、頬を撫でる風が気持ちよかった。
いっそ目的地につかなくても、ここでゆっくりしていくだけで良いのではと思うくらいだ。
静かにゆったりと時間が流れて行く。
このまま時間が止まって、ずっとこの、心地のよい空気に包まれて、ふたりきり居られたら幸せかもしれない…とぼんやり考えていたところに「まもなく電車がまいります」とアナウンスが鳴り響く。
だが、電光掲示板には「普通」の文字が光っていた。
頭を預けていたかれは、ぱっと身を起こして「なんや、鈍行か…」と呟いたが「いいだろ、急ぐ旅でもないし」と手を引いて、のろのろとホームに滑り込んできた小豆色の車両に一緒に乗り込んだ。
さっきまで乗っていた特急とちがい、普通電車は空いていて、車内の空気がまるで違っていた。
良かった。
空いている車内で、隣に座ったかれの手をさりげなく握る。
目的地までのあいだ、ずっとそうしていた。

河原町駅で降車すると真っ白だった恋人の頬にほんのりと朱がさしており、体調が戻ったことが伺えた。
軽い足取りで迷わずに地上出口を目指すかれの後ろを追いながら、さすが関西人だけあって慣れてるなと関心していると、出口から吹き込む外の空気に長い髪をふわりとなびかせながらかれがくるりと振り返る。
「なぁ、俺とりあえず甘いもん食べたいねんけどええかなぁ」
甘いものが苦手な自分に気をつかってなのか、なんとなく甘えた口調で問うてきた恋人に、もちろん、と応えると、恋人は「パフェがようさんある店にしよかなぁ、でもあっちのカフェもええなぁ」と女子のように悩み始めた。
とりあえず店の場所だけ把握しようと耳に入ってきた店名をスマートフォンに打ち込む。

…………。

大地は画面から顔を上げて思わず怪訝な表情を恋人に向けた。
「……京都まできて観光しないのか?」
「観光?」
「お寺とか……神社とか。甘いものだって、もっと京都っぽいお茶の店とか……」
さきほどの店名から出てきた場所は、京都らしいイメージのしっとりと落ち着いたような観光地ではなく、どちらかというと都会っぽい商店街やデパートの建ち並ぶ場所だった。
「……あんたとは食べ歩きデートみたいなんするんやと思うとった」
「俺は……君はゆったりした観光が好きなんだと思って……」
言いながら、ふと可愛い後輩を口説いた時のお互いのプレゼンを思い出す。
自分のデートプランを「食べてばっかり」とバカにしたくせに、かれはきちんと覚えていたのだろう。
「ただの観光」とバカにしたくせにきちんと覚えていた自分のように。
相変わらずの似た者同士なのだ、自分たちは。
思わず目の前の細い体を抱き締めそうになった。
ゆるみそうになった頬を緊張させながら、「食べ歩きのあとはベタな夜景とディナーだから、よろしく」と気取ってみせると、長身の恋人は美しいかたちの唇を嬉しそうに微笑ませて、「エスコートされたげるから、よろしく」と一瞬甘えるように腕を絡ませてから、するりとほどいて歩きだした。
甘えてくれるなら、甘やかさせてくれるなら、もっと甘やかしたいーー……そんな願望を叶えてもらっている自分の方こそが、かれに甘やかされているのかもしれない。
甘やかされたぶん、甘やかさせて。並んで、いつだって対等でいたい。
追い越せば、追い越し返される。
そうやって、ふたりでたかいところへ行けたらいい。

京都の街は空が広く、道はまっすぐに、ずっとずっと先まで続いていた。
電車の中で後悔に塗れていた自分が嘘のように、晴れやかな気持ちになる。
先を歩くひとつ年上の恋人を追いかけて、となりに並んで、歩きだした。